ようこそハレの日へ⑨お子さんの話を聴く

おはようございます。
今まで、ぼくの勉強観について多くお話ししてきましたが、今日はハレの日の日々の様子についてお話ししようと思います。

ハレの日の家庭教師は、毎回基本的に、お子さんの話を聞くことから始まります。日頃の勉強の様子や取り組み具合、困っていることや質問したいことなど、勉強に関わることをお話しします。と、ここまではふつうの家庭教師ですが、ハレの日はふつうの家庭教師ではないので(もしかすると家庭教師ですらないと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが)、お子さんの話を何でも聞きます。週末の出来事や今日学校であったこと、お子さんが今思いついたことから「なぜ勉強するのか」というような簡単には答えが出ないようなことまで、基本的にはお子さんが話したいところまで話してもらいます。そして、ぼくはその話を聞き続け、一緒に考えます。ぼくは常に、ぼくにもわからないことはたくさんある、と考えてお子さんと接しているので、わからないなりにお子さんと一緒に考えて、すこしでもお子さんの答えに近づけるようにしています。
いつもこの話は盛り上がるので、いざ勉強を始める時には家庭教師の時間の半分以上が過ぎてしまっていることも、正直よくあります。この点には疑問を持たれる方も多くいるのではないかと思いますが、ハレの日は明確な目的を持っています。

まず、ハレの日は「勉強は自分でやるもの」だと考えています。詳しくは第五回をご覧いただきたいのですが、勉強をするのも、テストを受けるのも、人生を送るのもお子さん自身なんですよね。誰かが代わりにやってあげることはできません。
全ての内容をお子さんと一緒に勉強することも目指せなくはないですが、確実に膨大な時間が必要になります。学校のように。最近の塾もそうでしょう。誰かがお子さんを全て案内するかわりに、膨大な時間が必要です。そして何より、このやり方では、ついに自分の土俵にはなりません。誰かの案内で進むということは、誰かの土俵に居続けるということです。詳しくは第七回をご覧ください。自分の土俵は楽しいですよ。白紙のフィールドを自分で進んでいくので、自由です。楽しいです。すこし傷つくときもありますが、その分自分をレベルアップできます。
第九回まで継続してみると、ぼくの話にいくつも繋がりが見えてきました。ハレの日とぼくの心の内は、今まで心の内にあったままでしたが、こうやって書き綴ってみると、目に見えるかたちで整理されてきました。

さて、ハレの日は毎回お子さんと話をすることから始める、そしてその理由の一つは「勉強は自分でやるもの」だと考えているからである、という話でした。
お子さんがぼくと一緒にいる時間は限られています。重要なことは、ぼくがいない時、お子さんが一人の時にどれだけ勉強しようと思えるかということです。ぼくと一緒にいる時間にどれだけ勉強したとしても、それだけでは大した力にはなりません。

ハレの日は「一人で練習するときにだけ、お子さん自身の力が伸ばされる」と考えています。

なので、ぼくがお子さんと一緒にいる時には、いざお子さんが一人になった時にどれだけ勉強しようと思ってもらえるか、ということを第一の目標にしています。
毎回お子さんと話をすることから始めるのも、そのためです。ぼくとの会話の中で、一人の時に勉強しようと思ってもらえるようなヒントやきっかけをお渡しできたらと思っています。

タイミングがいいので、今日はここまでにします。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、また明日お会いしましょう。