おはようございます。そろそろ、第八回で思いついた「学校の勉強の攻略法講座」を書き始めたくなってきましたので、この記事は今回でひとまず区切りとしようと思います。
今までハレの日とぼくの心の内について書き綴ってきた内容をまとめてみます。
まず、「学校の勉強」と「自分の勉強」を区別して考えています。「学校の勉強」は「学校に評価してもらうためにするもの」で、「自分の勉強」は「何かを経験することによって、自分のレベルを上げること」です。学校の宿題も自分のレベルを上げるために取り組まなければ「自分の勉強」にはならない一方で、将棋を通して先を見通す力や相手の立場から考える力などをレベルアップさせられれば「自分の勉強」になる、ということでしたね。
それから、「学校の勉強」は他人の土俵でやるものですが、「自分の勉強」は自分の土俵でやるもの、という話もしました。自分の土俵は楽しいです。これは何度もお伝えしていますね。白紙のフィールドを自由に自分のペースで好きなところに進んでいけるからです。自分の土俵は自分が先頭に立って進んでいくしかないので、すこし傷つくこともあります。しかし、その分確実にレベルアップできます。
学校や塾など、物事を他人の土俵でやると、膨大な時間が必要になります。全てを案内してもらう必要があるからです。それから、どれだけ進んでもついに自分の土俵にはならないので、残念ですが、自分の土俵でやるほどの楽しさには到達できません。
もうすこし深くまで考えてみるので、興味のある方はご覧ください。
物事を自分の土俵で進めるには、自分を鍛えていく必要があります。はじめは思い通りにいかなくても、それは当然です。まだその力がついていないからです。思い通りにいかないながらも継続と改善を重ねることで、自分自身が鍛えられていくのです。物事を自分の土俵で進めると、自分で物事を考える必要があります。それから、自分で決断して、自分で実行しなければなりません。だから自由なのです。だから楽しいのです。
他人の土俵では、自分で物事を考えてもそれは無力です。無効化されます。ゲームみたいですね。自分で決断しても、無効化されます。自分で実行したら、怒られたり笑われたりするのかもしれません。これは果たして楽しいですか。
「勉強は道具」であることもお話ししました。みなさん、道具は目的を達成するために適切にコントロールしながら使うと思います。ナイフという道具を無目的に持ち歩くことはないでしょうし、使う時は常に適切にコントロールすることを心がけていると思います。
ぼくは勉強も道具だと考えているので、目的を達成するために適切にコントロールしながら使うようになりました。勉強がつまらなく感じる時は、勉強という道具を目的なく使っているかもしれません。自分や他人について、成績の良さと人格の良さを関連させてしまう時は、勉強という道具を適切にコントロールできずに自他を傷つけてしまっていると言えるでしょう。
それから、何より「勉強は自分でやるもの」だということです。
実はこの言葉は、ぼくの頭から出てきた言葉ではありません。ぼくがいつものようにお子さんと会話していた中で、とある中学生の男の子が言ってくれた言葉です。
お子さんの代わりに勉強することはもちろん、テストを受けることも、人生を送ることもできません。「勉強は自分でやるもの」ということに気づくと、今までの話が全てつながって見えてくると思います。
ハレの日では、ここで書き綴ったことを考えながら、日々お子さんと接しています。「学校の勉強」という狭いフィールドではなく、さらに広い「自分の勉強」というフィールドさえも越えて、「お子さんの力を何か少しでもレベルアップさせるお手伝い」をすることが、ハレの日の役割の一番大きなものだと考えています。なので、一緒に学校の勉強をすることはもちろんですが、学校では習わない勉強であっても、将棋であっても、キャッチボールであっても、できることを何でもします。
大事なことは、お子さんがしたいことをする、ということです。大丈夫です。お子さんが目の前のやりたいことに本気で向き合っていると、自然と勉強もやりたくなってきます。