ようこそハレの日へ③勉強は道具

おはようございます。今日は、昨日に続いてぼくの勉強観についてお話ししたいと思います。
今日のテーマは「勉強は道具」ということです。

「勉強は道具」であると聞いて、みなさんはどう思われますか。学校では、勉強は自分の実力を発揮するフィールドであり、そのフィールドで実力を発揮することこそが勉強の目的のように感じていませんでしたか。ぼくはそう感じていました。なので、勉強のフィールドで実力を発揮すること、すなわち好成績をとることに夢中になっていた時期もあります。ですが、昨日の話を振り返ると、ここで言う「勉強」とはあくまで「学校の勉強」のことだったということです。「何かを経験することによって、自分のレベルを上げること」に夢中になっていたと思いきや、「評価してもらうこと」に夢中になっていたということです。

今では、ぼくは、勉強を一種の道具だと考えるようになりました。みなさんは、道具と聞いて何を思い浮かべますか。ぼくは車を思い浮かべました。なので、車を例に考えてみようと思います。みなさんはどのような時に車に乗りますか。ぼくは仕事の時に乗ります。それから、買い物へ行く時にも乗ります。車を運転することが好きなので、目的地が決まっていない時にも乗ります。こうやって、自分がどんな時に車に乗るか、ということを考えてみると、ぼくの場合は必ず移動する時に乗るということがわかります。移動しない時には車に乗りません。つまり、ここで伝えたいことは、道具を使う時には必ず目的があるということです。ぼくが車という道具を使う時には、必ず、移動するという目的があります。

それから、みなさんに、車を運転する場面をイメージしてほしいです。車を運転する時には、常に安全に配慮していると思います。また、車が進む速さや方向を常に調節していると思います。つまり、車という道具を使う時には、車という道具をコントロールしているはずなのです。コントロールを失ってしまうとどうなるか、みなさん想像がつくと思います。そうです。自分や他人を傷つける結果になりますね。道具は、適切にコントロールをしなければ、自分も他人も傷つけるものになってしまいます。

ナイフも道具ですが、ナイフを目的もなく持ち歩くことはしないでしょうし、ナイフを使うときは常に適切にコントロールすることを心がけているでしょう。

ぼくは、勉強も、目的なくするものではなく、適切にコントロールしなければ自他を傷つけてしまうものだと考えています。なので、勉強は道具だと言うわけです。「学校の勉強」が、ではないですよ。「勉強」が道具だということです。お子さんからよく聞こえてきそうな「勉強がつまらない」といった言葉は、目的なく勉強という道具を使おうとしている状態です。それから、「勉強がうまくいかない、自分はだめだ」と思ってしまったり、「成績がよくないあの人は価値がない」と思ってしまったり、他人に加害するために勉強した内容を応用したりしているのは、勉強を適切にコントロールできていないことによって自他を傷つけてしまっている状態です。

今回の話をまとめると、ぼくの勉強観として、勉強は目的を達成するために適切にコントロールして取り組むもの、すなわち、勉強は道具であるということです。
ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございます。ここまで読み切ることはきっと大変だったと思います。ですが、ここまで書き切ることも大変でした笑。お互いにゆっくり休憩して、また明日お会いしましょう。